こんにちは、腸整サロン銀座店の堀内拓矢です。
2019年より小腸を中心に施術し
食事指導を行う腸もみ専門サロン開業。
看護師と保健師免許あり。
前回記事はこちら↓
【本音で自己紹介】ぼくの人生はこうして変わった③(高校校時代)
目次
1、小学校就学前
2、小学生時代
3、中学生時代
4、高校時代
5、大学時代(当記事はここ)
6、看護師国試不合格後の1年間
7、病院勤務時代(当記事はここ)
8、借金からのバイト三昧時代
9、ブロガー時代
10、腸もみとの出会い
11、腸もみ開始
12、保育園勤務開始
13、腸もみを続けてみて
5、大学時代
本当に大学に入りたてのころは
目指していた大学とは大きく偏差値の下がった
大学に入ったことで、
勉強はしてきたという自負から
どうせ楽して入学してきたヤツが多いんだろうと
周りを見下すような気持ちがありました。
なぜなら前年は
ヒステリーに騒いでいる母親の
ストレスにさらされながらも
8〜10時間くらい勉強して
ようやっと偏差値37から53まで
伸ばすことができたのに
結局偏差値の概念がない大学に進学する
ことになったからです。
高3の夏前から本格的に勉強し始めた
自分が完全に悪いのですが、
こんなことになるなら
あそこまで色々を犠牲にして
勉強してこなくてよかったじゃん・・・
って思いが高まってきて
けっこう悔しかったし、
そんな自分がかなり惨め
だったんですよね。
今思えば素直に合格できたことに喜んで
ありがたくその環境で
学んでいけって感じですが。
しかしながら看護大学だけあって
全84人の学科生中、
男子生徒は10名くらいでしたから
男子同士ですぐ打ち解け合えました。
しかも!
さすが看護師を目指しているだけあって
ほぼ全員が優しい心の持ち主でした。
聞けば全員両親からの愛情たっぷりに
育ってきているようで、
いじめに遭ったり家庭が荒んだ環境で
育ってきた人に見られるような
”スレた感じ”が全然見受けられなかったのです。
そんな彼らとの居心地はとても良く、
見下していた自分がめちゃくちゃ
恥ずかしくなっていました。
劣等感に溢れたぼくの性格は
だいぶ終わっていたものの
「人間味がある人とは
こういう人たちのことを言うんだな」
と心から思える友達と過ごした時間は
本当に楽しかったですね。
(そんなこと恥ずかしくて
伝えていませんでしたが笑)
強いて言えばこの時は
彼女が全然できないことだけが
コンプレックスでしたね。
いくら自分が劣等感まみれで自信がなくても
看護大学に行けば彼女くらいできるだろう
と思っていましたが、
どんな環境にいようが
結局自分の在り様が終わってたら
モテるものもモテないんだなと
後から思いました。
人付き合いの機会が大幅に増えたことで
コミュニケーション能力は少し改善されたましたが
本音を語り合ったり心を通わせるような
関わりはやっぱり怖くて
うまくできませんでしたね。
そんな中、
大学3年生の途中から
大きな試練が訪れました。
その試練こそが
『半年間の看護実習』です。
これの何が難しかったかというと、
人と接することの難しさや困難に対して
何かを暗記する努力だけでは
到底解決できない問題に
幾度も直面したからです。
この当時のぼくは
『人の気持ちを察して寄り添う力』
『人に配慮する言動や思考』
『人と適切な距離感で接すること』
などが”壊滅的に”できませんでした。
仮にも看護師を目指す人間とは
思えないくらいに
看護師としての適正に欠けていた
と思います。
これがいつしか
人から嫌われることを怖がり
自分を偽り続けてきた人間の末路
なのかと思うとけっこうショックでしたね。
実習中は本当に患者さんに対して
まともな看護が何一つ提供できませんでした。
具体的に最も当時のぼくを象徴する
ポンコツエピソードを1つ紹介します。
それはある手術を控えた患者さんに付いて
手術前、手術後の看護に携わっていた
話なのですが、
手術の前と後は患者さんの身体には様々な
変化が起きやすい上、
精神的にも不安定になりやすいのが
一般的なのですね。
そこで引率の先生からは
「そんな患者さんの不安を取り除くように
関わってください」
と言われたのですが、
これまで人を安心させようと思って
言葉を選んでこなかった人生だったので
なんて声をかけていいのか
全くわかりませんでした。
そんなぼくがやった行動は棒立ちです。
さすがに患者さんのそばでは気まずいので
看護師さんやお医者さんが出入りする
ナースステーション内で
棒立ちをかましていました。
もちろん引率の先生からは
呼び出されてしばらくガン詰めされました。
「堀内くんならこういう時は
何て言われたら嬉しいですか?」
などの人間関係の初歩的な質問に対しても
かなり的外れな回答をかましていた様でした。
ぼくに対する先生の指導も二転三転していたので、
ぼくに対してなんて言えば
まともな看護の視点が育つのか
恐らく本気でわからなかったのだろうな
と今なら思います。
そんなわけで実習の単位がもらえず
留年をすることになりました。
この時に
努力して学力を上げることよりも
物事に向かう姿勢や熱意、
相手を思いやる気持ちを
持ち合わせることの方が
看護師としては遥かに重要だった
ということを学びましたね。
それから2度目の3年生として
1から勉強し直そうと
後輩たちと一緒に授業を受けたり、
人間社会をもっと学べという
先生のアドバイスに基づいて
イタリアンのホールスタッフの
アルバイトを開始したのです。
幸いなことに留年したぼくを
可哀想に思った後輩がぼくと仲良くしてくれたり
進級した元同級生たちも良くしてくれた他、
彼女もできたので
そこまで寂しい思いはしませんでした。
自分が辛い状態になった時に
助けてもらえるとこんなに嬉しいんだな
ということを身をもって体験したのです。
こういう出来事がないと
ぼくは人間的な成長ができなかった
と思うので、留年できたことは
すごくいい経験だったと思いますね。
仲良くなった後輩からは、
「ほーりー(ぼくのこと)はさ、
気遣いが全然足りてないよね。
そういうことは言わない方がいいよ」
「え?そんなもんなのか」
などなど、
こんな会話が
日常的に繰り返されていました。
ちなみにこの気遣いに対しては
ぶっちゃけると今でも課題だと
感じています笑
ただ、
少なくとも真逆の生活環境で育ってきた
常識のあるビジネスパートーナーと
何年も仕事を一緒にやっていたり、
足を運び続けてもいいと
思っていただけるような
お客さま対応ができているので
多少は改善されていると信じております笑
こういった後輩の指導があったこともあり
去年までわかっていなかったポイントを抑えた
勉強をしたことで
2回目の実習はかなり楽しく過ごすことができ、
引率の先生からもよく褒めてもらえました。
晴れて4年生になってからは
友好関係も後輩たちと
着々と築くことができるようになって
就職先の病院も比較的早く決り、
大学生活イチ楽しい時間を
過ごすことができたのです。
ちなみに大学の隣町にある某総合病院に
パスしましたが、
面接の際に看護部長から
「あなたの大学は5年制なの?」
と聞かれたことは鮮明に覚えています笑
いやいやいや、
ウチの大学から何人もここに就職
してんの知ってんだろ!
なんだその質問は!
という気持ちを押し込めて
「4年制ですが留年しましたので、、」
と伝えてなんやかんやで合格に至りました。
さて、
そんな順調な大学ライフを
満喫していたぼくは
これらの試練を乗り越えたぼくなら
どこでもやっていけるぞと
妙な自信を持つようになったのです。
決して自力ではなく他人に助けてもらっていた
だけだったのに、
周りへの感謝の気持ちが小さくなっていた
自分がいたのですね。
当時完全に調子に乗っていたぼくは
しっかり勉強しているからという理由で
国家試験1ヶ月前であるにも関わらず、
高校の同級生に誘われて
1週間のセブ島旅行を
呑気にエンジョイしてきました。
とは言えこの時の経験が
ぼくの人生を大きく変えるきっかけに
なったので
この時行けて本当に良かったと思っています。
これは現地の宿泊したホテルの従業員と
現地の看護学生も巻き込んで
一緒に撮った写真です。
めちゃくちゃ楽しかったですね。
ちなみに国家試験は
落ちていました笑
その結果として、
決まっていた就職先がなくなったのですが
例の看護部長から仕事を紹介してもらい
そこで1年働けることになりました。
この1年がめちゃくちゃ大変でしたので
次のブログでご紹介いたします。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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【本音で自己紹介】ぼくの人生はこうして変わった⑤〜看護師国試に落ちた1年間〜
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