こんにちは、腸整サロン銀座店の堀内拓矢です。
2019年より小腸を中心に施術し
食事指導を行う腸もみ専門サロン開業。
看護師と保健師免許あり。
上記の自己紹介通り
ぼくはこのブログを含めて
各SNSでも普段腸内環境をより良くするために
役立つような情報を発信をしてきました。
腸もみをしているからこそわかる
お客さまのリアルな悩み、
腸内環境改善における食の重要性など
経験も交えて色々お伝えしてきました。
このように腸関連における
現場から培った学びがあることは
ぼくの強みの1つですが、
それとは別にもう1つの長所があります。
それは
「やることなすことがどれも中途半端で
何もうまくいっている実感もなく
自分の人生ほどしようもない人生を
送っている人はいない」と
思ってきたところから、
なんだかんだ幸福度高めな人生だと
思えるようになった経験があることです。
以前のぼくは
過去の失敗をした自分を責め続けながらも
このままで終われるか!と思いながら
様々なものを見返すために
がむしゃらな努力を続けてきました。
そういうことをやめたことで
明らかに幸福度が上がった実感があるのです。
ぼくは特別大きな病気をしたことも
後遺症の残る大怪我を負ったこともありません。
また、
めっちゃ貧乏な家庭だったわけでもありません。
ただただ人間関係の苦労をベースに
仕事に苦労してお金に苦労して
恋愛に苦労して
気がついたら20代が終わっていて
一体ぼくの人生はどうなるんだろう
と絶望感に溢れていたのです。
この記事はそんなぼくと似たような状況の人が
「最悪な人生だと思っていたけど
ここからでも全然巻き返せるじゃん!」
と思ってもらうために書いております。
だからこそ
【本気の自己紹介】として
ぼくの過去を洗いざらい過去一番詳しく
書き起こしました。
この記事を書いている時点で
30代半ばですが、
人はいつからでも変われると確信しています。
結論、
大事なのは心のあり様でしかないと
思っています。
ただそれだけ言われても
しっくりこないと思いますので
過去このような経験からこういう学びを得た
という部分を詳細にお伝えしていきますね。
具体的には幼少期から
腸もみの仕事を始めている現在まで
これまでのぼくの人生の流れを
この記事に凝縮しております。
どうかこの記事が
一人でも多くの人の心に
暖かくも強い火を灯せることが
できます様に。
目次
1、小学校就学前
2、小学生時代(当記事はここまで)
3、中学生時代
4、高校時代
5、大学時代
6、看護師国試不合格後の1年間
7、病院勤務時代(当記事はここ)
8、借金からのバイト三昧時代
9、ブロガー時代
10、腸もみとの出会い
11、腸もみ開始
12、保育園勤務開始
13、腸もみを続けてみて
1、小学校就学前
長野県で生まれますが神戸市で生活をしていました。
家族構成は父、母、自分、弟の4人家族でしたが
4歳の時に阪神淡路の地震に被災して以来、
長野県にある母親の実家に
居候することになりました。
当時は関西弁を流暢に話していたそうです。
そんなわけで
祖父と祖母の2人に加えて
ペットとして飼っていた
たくさんの猫ちゃんたちと
ワイワイしながら楽しく生活していました。
2、小学生時代
実は早くもここから人とのコミュニケーション
に悩む様になってしまいます。
そうなった背景には少し歪んだ家庭環境に
あったように思うので解説します。
その前に大事なことをお伝えしますね。
この記事で言いたいことは
『自分の人生がこうなってしまったのは
〇〇のせいだ!
ぼくは被害者だから可哀想なんだ!』
という気持ち悪さが感じられるものでは
ありませんし、
身に降りかかった全ての事象を
自己責任として処理するものでも
ありません。
実際に起きたことと
ぼくが感じたことをそのまま
表現していますが
悪人は一切登場しません。
それぞれがそれぞれの立場で
その時の精神状態や生きてきた境遇から
生み出される言葉や態度に
昔のぼくが一喜一憂してきたに過ぎません。
過去のことを思い出せば
ムカついてくることは事実ですが、
相手の立場や境遇を知り、
相手のことが理解できる様になってからは
相手への見方が変わりました。
具体的には父親と母親への見方が
昔と今とで180度変わることができました。
先に結論をいうと
嫌いだった父親のことは好きになって
嫌いだった母親のことは
許せる様になったのです。
この親子関係が小学生以降、
コミュニケーション能力を形成するにあたり
良くない意味ですごく大きな影響を受けたと
自覚していたので、
めちゃくちゃ両親のことが嫌いでした。
ここについて段階的に伝えていくので、
一旦話を小学生時代に戻しますね。
父親は仕事柄それなりに収入が高く
家族を養う以外にも様々な趣味を楽しんでおり
外向的でアクティブな上に
ゲームなどでも良く一緒に遊んでいました。
母親は料理上手な専業主婦で
性格は内向的、
外では大人しくいい顔をしていても
家に帰ってから子どもの前で
人の悪口や愚痴を言うタイプの人でした。
また、かなり子どもの行動にかなり干渉的で
ピアノ、スイミング、英語などなど
複数の習い事も流れのように
将来困るからと言う脅しのような文言で
行かされていた記憶があります。
当然そられの習い事には全く興味がなく
習い事中は当時夢中だった
ポケモンやドラクエのゲームのことばかり
考えていたので、
何一つ全く身につかず
友達と遊びに行っている感覚でしたが、
学校の友達との遊びが習い事のせいで
できなくなるのが堪らなくストレスでした。
ちなみに母親に対して
「大きくなったらこうなりたい」
など何かを言うと
「それじゃあ将来困る」
「そんなことをさせるために育ててない」
などと言われてきたのですね。
ただ言うてこちらも
それがめっちゃショックだった!
とまではなってなかったと思うのですが
何かを肯定された記憶はあまりないのが
正直なところですね。
とはいえ当時はまだそれでも
両親は大好きだったし、
祖父母の実家から家族4人でマイホームを建てて
引っ越した時も大きな不安は感じていませんでした。
しかし小学3年生の時に両親が離婚してしまいます。
どうやら夫婦喧嘩の末、
母親が警察を呼んで
仲裁に入ってもらった様でした。
この時ぼくは夫婦喧嘩をしていたとは
知らなかったので、
急にやってきた刑事さん相手に
呑気にゲームの話か何かをしていました笑
その結果、父親を残して3人でマイホームを去り
元いた祖父母の実家で再び居候生活が
始まったのですね。
そこから父親は暴力的だった
実はこれまでもけっこう辛かったなど
母親から父親に対する様々な悪口を
毎日浴びるように聞いていたので
ぼくも次第に父親のことが嫌いになっていきました。
確かに父親からは顔面を正拳突きで殴られて
鼻血がドバドバ出て大泣きしたことがあったので
暴力的だったという話はすぐに信じました。
ただ問題はこの時期母親がうつ病を発症して
家庭内の雰囲気がけっこう悪くなってしまって
いたことです。
祖父母は父親との親権裁判に奔走し
母親は無気力、
ぼくはよくわからない心療内科的な
ものに定期的に学校を早退して
行っている様な状態でした。
ただ実際には
ぼく自身は両親の離婚が
めっちゃショックだった、
父親の言動が精神的なダメージだった
ということはあまりなく、
どちらかというと
母親から「家が乗っ取られる」
「一家心中しなきゃいけない」
的なワードを10歳当時から
すごく聞かされていたことの方が
ストレスでした。
今思えばうつ病発症しているし
大変だったんだろうな〜って感じですが
10歳のぼくにそんな想いを馳せる能力は
なかったのでただ脅されているような
感覚がけっこうキツかったです。
後に無事うつ病は回復しますが、
ぼく自身も成長してきて
母親が物事を大袈裟に言って
気を引こうとする癖があることが
わかってからは
あの時心配した気持ちを返せ!!
って心底思いました笑
当時はそんな感じで常に心に
不安感があったことに加えて
そして友達に家庭環境のことを言うなと
口止めされていたこともあり、
ストレス解消の矛先が母親に向かうまでに
そう時間はかかりませんでした。
小学5年生になった時は
毎日激しい悪口で母親と
言い争うようになっていました。
母親も相当ストレスだったのか
口喧嘩になった際はたまに
アイロンの蒸気をつけて
これを押し付けるぞという
表情とジェスチャーをして脅してきたり
すごい形相で包丁を持ち出して
こちらをビビらせてきた他、
一度だけケンカも全くしておらず
なんの前触れもなく首を絞めながら
死ね!!と叫ばれたこともありました。
流石にこの時はギャン泣きして
祖父と祖母が駆けつけて助けてくれましたね。
当然家庭内がこんな感じなので
小4まではギリギリなんとかなっていたものの
小5からは徐々に周りの友達の大人びた話に
付いていけていない事、
人との距離感の取り方が全くわからずに
面倒臭いやつだと思われ始めて
少し孤立気味な学校生活を送る
様になってしまいました。
つまり
学校での友達との不和
↓
ストレス
↓
ゲームや悪口で発散
↓
学校での友達との不和
という見事な悪循環ループに
ハマってしまっていたのです。
そしてこんな感じのまま
中学生になったので
けっこう大変でした。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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