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【本音で自己紹介】ぼくの人生はこうして変わった⑤〜看護師国家試験に落ちた1年間〜

堀内拓矢について

こんにちは、腸整サロン銀座店の堀内拓矢です。

〜自己紹介〜
2019年より小腸を中心に施術し
食事指導を行う
腸もみ専門サロン開業。
看護師と保健師免許あり。

 

前回記事はこちら↓

【本音で自己紹介】ぼくの人生はこうして変わった④(大学時代)

 

目次
1、小学校就学前
2、小学生時代
3、中学生時代
4、高校時代
5、大学時代
6、看護師国試不合格後の1年間(当記事はここ)
7、病院勤務時代
8、340万円借金&ブログ開始
9、腸もみとの出会い
10、保育園看護師と腸もみが天職な理由
番外編① 嫌いだった両親に歩み寄ってみた結果
番外編② 7回振られたけど付き合えた元カノがビジネスパートナーになった話

6、看護師国試不合格後の1年間

 

国家試験に落ちたことを

就職予定の病院に報告したところ、

病院と同系列の施設の

介護スタッフの仕事を紹介されたので

とても喜んで引き受けました。

 

助かった、、、

これで新たに借りた家賃の支払いの

悩みが解消された、、、

 

試験もギリギリ落ちた程度の点数だったので

1年間程よく勉強して

ちゃんとお金を稼ぐために働こう

 

そんな気持ちで仕事に臨みました。

 

実際に働いてみて

仕事内容への不満はないものの

職場の人間関係に関しては

相当地獄でした。

 

正確に言うと

自分が職場の人間関係を

地獄に変えてしまっていた様でした。

 

この時のぼくの唯一の楽しみは

仕事終わりに友人たちと一緒に遊ぶこと

でした。

 

大体看護師になった人は

最初は職場の同期と仲良くなって

遊ぶことが多い様で、

元々の同級生や看護師国家試験に受かって

楽しそうにしている後輩たちがいる一方、

 

ぼくの職場には同期がいないどころか

友達と呼べる様な人は1人もできなかった

ことに対する寂しさや虚しさが

いっぱいで悔しかったのです。

 

なので職場でも

「仕事の後によく友達と遊んでいます!」

的な発言をしていたのですが、

どうやらこれが良くなかった様でした。

 

『国家試験に落ちたヤツが

遊んでんじゃねーよ』

 

そう言わんばかりに当たりがだんだん

キツくなってきたのですね。

 

さらに、2度行われた新人歓迎会にも

友人との先約が重なり不参加だったことで

相当ひんしゅくを買ってしまった様です。

 

特に勤務歴が長い年配の女性スタッフ達からの

冷たい対応、冷たい言葉は当たり前、

『お前いらねーんだけど』

と空気感が語ってくることも日常茶飯事で、

くそバb、

もとい、年配の女性スタッフ達には

めちゃくちゃムカついていました

 

最初だったこともあり

仕事が全然できないことは

自分が悪いにしても、

お前らのその態度なんなの?

 

こっちだってストレス溜まるんだから

遊んだっていいだろふざけんなよ。

 

仕事開始1ヶ月も経たないくらいから

こんな気持ちで仕事に取り掛かって

いました。

 

しかも

ちなみにこの時期の1年間は

月の手取りが12万円〜14万円程度で

家賃が5万6千円、光熱費やスマホ代、

車の維持費や税金、

保険料などをトータルすると

11万円弱ほど固定費

消費されてしまっていました。

 

ここに食費が加わってくるので

支払いがスムーズに出来なくて

電気は2回止まったし

ガスも1回止まったこともあります。

 

金欠で節約するストレスも相まって

割と感情がぐちゃぐちゃしていましたが、

職場の施設利用者である

おじいちゃんおばあちゃん達には

その感情を出したくなかったのです。

 

確かに職場の人間関係に関わらず

認知症の高齢者に対して

イラっとすることは

本当にたくさんありました。

 

しかし、

優しく笑顔で接してくれるおばあちゃん達もいて

「堀内さん、いつもありがとう」

と言われることに

心が救われていたのも事実なんです。

 

だからこそ

食事の介助や車椅子からベッドに移して

着替え手伝うなどの基本的な仕事に

めちゃくちゃ時間がかかってましたが、

仕事には手を抜かず一生懸命やってました。

 

そのおかげもあって

数人の職員さんは

ぼく自身の仕事への向き合い方を

評価してくれて応援してくれる様に

なってきました。

 

「厳しくしてやろうと思っていたけど

一生懸命食いついて仕事してるから

認めてあげたくなったのよ」

 

これはある時

休憩時間が被った年配の看護師さんから

直接言われた言葉です。

 

口では「そうだったんですね」

くらいしか言えませんでしたが、

内心けっこう嬉しくて、

腐らず一生懸命やっていて良かった・・

と本気で思いました。

 

とは言え、

まだまだ辛辣な環境下ではあったので、

職場自体には相当なストレスは

溜まっていました。

 

早く国家試験に受かって

こんな職場から離れてやる

という思いでいたところ、

 

たまたま友人から

『住むなら東京がいいよね

いろんな可能性に満ちているから』

と都心の良さをずっと力説されました。

 

確かに今ぼくのことを嫌いな人が

この職場にはたくさんいるから、

本来就職するはずだった病院に

根回しされて不合格にされるかもしれないな〜

 

と思っていたので

だんだんと

都会っていろんな人たちがいて

なんだか楽しそうだなと

思う様になってきたのです。

 

とは言え、

いきなり東京に出るのは怖くて

びびってしまったので

まずは都会に慣れるためにも

川崎市に住処を移そうと決めました。

 

川崎市内の総合病院への内定が出てからは

仕事の休憩時間は1人で別室に篭り、

6本で100円くらいのスティックパンを

1日3本食べながら、

参考書で勉強していました。

 

勉強もできる上に

ムカつく人たちと同じ空間にいなくて済む

という一石二鳥の対策を講じて、

ようやく看護師国家試験に

(ついでに保健師国家試験も)

合格を果たしました。

 

この時の気分はまさに

ウッキウキでしたね。

 

ただこの時はまだ

知るよしもありませんでした。

 

後に勤務する病棟環境が

今回の施設勤務とは比べものにならないくらい

しんどいものだったということを。

 

どのくらいキツかったかというと

この記事を書いている

現在から振り返って

過去一番精神を病んだ時期

と言えるレベルでキツかったです。

 

そんなお話を次回させていただきますね。

 

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

続きはこちらから↓

【本音で自己紹介】ぼくの人生はこうして変わった⑥〜病院勤務時代〜

 

 

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